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カナダ、ロッキー山脈のクマ騒動(その7) [旅行]

たとえクマが私達を襲ったとしても、それはクマの領域を侵して踏み込んだ人間の方が悪いのだ。誰も責められないが‥‥それにしてもユースのお兄さんも本屋のおじさんも気軽にこの道を教えないでほしかった。

本来クマは臆病者だとよく聞く。だから人間の存在をあらかじめ知らせるために、何か音を鳴らしながら行くとクマは近寄らないらしが、そうしたくても口が震えてしゃべる事さえ出来ない。青ざめる口びる、ひきつる顔の筋肉と何も言えない口、この状態が良くない事は重々わかっている。

しかし、極限状態になると、人間は色々思いつくものだ「お、音、何か音をたてないと」その時、私はとっさに自分が先程から握りしめて入る物に気が付いた。

「ビンだ!」自然の中に捨てるのは、気が引けるとずっと手に持っていたジュースのビンだ「このビンが役に立つ!」ふたを開けて小石を2~3個いれ、それを振ってみた。「カラガラカラーン!」その音はシーンと静まりかえった森の中で思いがけずよく鳴り響いた。緊張感から少し開放された、その勢いで私は夢中でそれを振り回した。

「これで助かる」私達はそう思った。

 


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カナダ、ロッキー山脈のクマ騒動(その6) [旅行]

そして来た道を振り返ると、何と知らぬ間に何百メートルも歩いたらしく、元に戻れない程遠いのだ。「クマにかみ殺される!」という恐怖が二人を包んだ。

クマはジッと木の間から私達の様子をうかがい、突然ガオー!と今にも出てきそうな気配さえする。後にも先にも行けない。

 

「ア~!」頭は真っ白!。パニック状態になった。

足が前へ動かない。もうその頃には足元という足元にはウンコだらけ。私達は確実にクマの棲みかに突入したと思われる。

二人のオバサンは日本の皆さんのさらし者になるだろう。

明日の日本の新聞の見出しが頭に浮かぶ。一般紙ならこうだ「カナダにおいて邦人の中年女性二人、クマの棲みかに無防備で踏み込む」。スポーツ紙だったらこうだ「無知な中年オバサンとんだ休暇、無防備で踏み込むクマのウンコの真っ只中」

外国へ行って恐怖を味わう事は何度かあったがこれは極上

 


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カナダ、ロッキー山脈のクマ騒動(その4) [旅行]

[さて道は?」下にはハイウェイが通っているので、かなり見晴らしが良かった。そのハイウェイを横目にして一本道を突き進んでいった。20mも歩くと再び針葉樹の中を1km歩いた頃友人Mさんと足元を見た。

「アマグリさん、これウンコやない」「あ、ほんまやウンコや‥‥それにしてもすごくでかいね」と、言いかけた途端、なぜか背筋がゾ~ッとした。

まさか、牛?ブタ?キツネ?いやいや、これはそんなもんがする様なウンコではない。頭の中は真っ白になり、悪い予感だけがグルグル回った。

「これはアレや、アレしかおらんでェ~!!」

ギャー!!!!!クマ!?半信半疑であった。

 


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カナダ、ロッキー山脈のクマ騒動(その3) [旅行]

手に持っていたジュースを飲み干し、ビンの置き場に困ったが自然の中に捨てるのもかなり気がひけるので、私は仕方なくこのビンを手に持ったまま山を登る事にした。しかしこれが私達の命を助けてくれたと言っても過言ではない出来事が起こった。

山に足を踏み入れた当初は、あまりの美しさと開放感ではしゃぎ回りおどけた格好で写真を撮った。

 

まさかこの山奥にひそむある危険な動物が棲んでいたとも知らず。

山奥に進むに従って道は幅50cmほど、両サイドには針葉樹がズッシリと立ち並んでいる。しかし500mほど進むとほどなく小高い丘に着いた。その一面にはマーガレットの花が咲き乱れ、もう私は寝ころがるしかなかった。

「何て、何てきれいなの!!」再び少女に戻った。2人供感激屋なので花となるとすぐ子供の様に転げ回るのだ。「来た甲斐があったね」

お花に囲まれ夢見心地でいたが、湖へ行かなければならないので、後ろ髪を引かれる思いで、その場をあとにする事にした。

 


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カナダ、ロッキー山脈のクマ騒動(その2) [旅行]

頭の中はピカピカの一年生が初めての遠足にドギマギしながら先生に連れられて行くのとほとんど同じだ。

「あっ川だ!、川だ!」それも緑や青、とにかく美しい。しかも水辺に茂る草の緑と薄ピンクの小さな花々がそよ風に揺れながら微笑んでいる。

「イヤーン!」

私達二人は、まるで5歳児のように、花をなでなでし、時にはカメラマンよろしく写真を撮りまくり楽しんだ。途中で本屋が有り、再度道を確認するために店主に聞いた。

「ルイーズ湖へ行く道は?」すると店主は「ああ、この道をずっと行って山道を通ると速く着けるよ、ハブ、ア、ナイスデーイ!」

どうやら問題は無いらしい。少し行くとやはりユースのお兄さんも言っていた通り、山の入り口が有り私達はそこに足を踏み入れた。


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カナダ、ロッキー山脈のクマ騒動(その1) [旅行]

都会に住んでいるとクマに襲われる恐怖なんて無に等しい。時々東北地方や北海道付近でクマの被害に遭った人の話がTVで出るが「大変なんだなー」とは思っても身に迫る恐怖感はあまり無い。

ところがだ。こんな平和な状態でカナダのロッキー山脈へ行ったからとんでもない事になった。

2005年7月中旬

その日は朝からお天気も良く、ハイキング日和り。私と友人Mさんはロッキー山脈に咲きそろう花を楽しもうと、朝からルンルンだった。手作り弁当を持ち手にはジュース。

履きなれたズックを履いて、いざ出発!と、その前にユースホステルのお兄さんに「どの道を行けば楽しくルイーズ湖に着くの」と質問。するとお兄さんは、軽い調子で「うん、この道を行って山を突っ切って下ればすぐだよ。ハブ・ア・ナイスデーイ!と言って教えてくれた。

私達はすっかりいい気持ち、こんな素敵な日ってあるかなあ~!一日中ハイキングしていてもいいんだよ。それも行き先が憧れのロッキー山脈ときている。

 


恐怖のコンパートメント(真夜中の恐怖)最終回 [旅行]

巧妙な手口からすると、特殊なワイヤーか針金を使ってやったらしい。もう油断もスキもあったものじゃない。女5人は完全にドロボー集団になめられている。もうこんな所嫌だ!。早くローマに着いてちょーだい。

頼りにならない警官達は、それぞれ散らばり大切な外人観光客のために、その後右往左往していたが1時間もすると、またまた部屋に戻り仮眠。

ピーチクパーチク、いつまでも興奮さめやらぬ私達だけが朝までさえずっていた。

イタリア政府の方々、一体どうやったらこれを回避できるんですかあーっ!。もういいかげんにしてよね。


恐怖のコンパートメント(真夜中の恐怖)その2 [旅行]

私の背中でしっかり押さえつけていたはずの赤いバッグが、スイーッと宙に浮く感じを覚えそれが、まるで生き物のようにスルスルッと私のひざから足元へ持ち去られるの感じた。

それはもう一瞬の出来事で、私の頭は混乱しそのまま「ヒヤーッ!!」と、おそらく一生に一度出すかどうかという悲鳴が暗闇の中で響きわたった。

 

部屋は騒然となり、まるで蜂の巣を叩いた様に上へ下への大混乱!。電気を点けた時、全員の目はドアに釘付けになった。確かに鍵をかけたはずのそのドアが10cm程こじ開けられていたのだ。そして私の赤いバッグがトランクのバリケードの前にポツンとあった。

待機していた警察官がドバッと出てきて私達に「大丈夫か!?」と訊いてきた。
幸い何も盗られていなかったものの心臓はバクバク、全員の顔は真っ白になり血の気が引いていた。


恐怖のコンパートメント(真夜中の恐怖)その1 [旅行]

実は、その親子とローマで別れる前日の真夜中、私達にはもっと恐ろしい事が待ち受ていた。

パスポートと現金、帰りの航空券、カメラと時計すべての貴重品を泥棒に持ち去られた母娘は言葉も無くうなだれた様子で私達と一緒にコンパートメントに座っていた。
急行列車には三人の警官が乗り込み私達のコンパートメントの隣の部屋で警戒していてくれた。

安心はするものの私達は、すべての荷物を入り口のドアに積み上げ、誰も入ってこれぬように天井近くの鍵もかけ、六人掛けの席にスクラムを組んで座り夜を過ごそうとした。
一時間ほど室内の灯りを灯した後、それを消して眠りに付こうとした、その瞬間である。


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恐怖のコンパートメント(スペインからイタリアへ)その5 [旅行]

彼女の息子さんは、サッカー少年で今後かなり期待の持てる子なのだ。彼はあのスーパースター中田英寿選手に会いたい一心で、けな気にも大人の中に混ってこのヨーロッパ1ヶ月の旅に付いてきている。この子を巻き添えにする訳にはいかない。

私は早速お母さんに聞いた。

「お一人でペルージャまで子供さんを連れて行けますか?」

すると彼女は果敢にも「はい、何としてでも連れて行きます」まさに母は強しだ。絶対絶命のこの時、あのお母さんは火事場のくそ力が出たのであろう。次の日の朝、言葉も通じないローマで彼女は二人の子供連を連れて、その場を立ち去った。そして残された私達は一日を棒に振るはめになった。

このお母さんは、当初の計画で私達より十日程滞在期間が短く、ドイツから関空まで、親子三人で帰国しなければいけない事にかなり弱気で、私達に「日程を変更して一緒に帰って」と困らせた事もあったが何と、この事件をきっかけに奮起。ペルージャでは、三人で歩き回り中田グッズを売っている店を沢山見れて楽しかったと、後日ペルージャでの合流場所であるホテルで話し私達を驚かた。


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